木食修行の地 浄発願寺奥の院の岩屋

大山周辺のお寺として日向薬師を参拝後、現在は寺の跡地になっている浄発願寺奥の院に立寄りました。当初は全く寄る予定になかったのですが、入口にあった説明書きで昔の上人が修行した岩屋があると書いてあったので、どんなところなのだろうという好奇心から立ち寄ってしまいました。

入口から岩屋までは結構な距離の上り坂(階段中心)でした。また、人っ子一人いない場所でした。参道沿いには壊れたようなお地蔵さんが多かったです。寂れたお寺の跡は午前でもちょっと不気味で、途中から来なければよかったかなと思いつつ、目的地の岩屋までやってきました。

下が岩屋前の写真です。

写真で黒く写っている洞穴が岩屋です。岩屋の前は非常に静かな寂れた場所でした。浄発願寺奥の院は、昭和13年(1938)の山津波で埋没したもので、歴代住職の墓石等は平成3年発掘し復元されたそうです。

岩屋前につくと説明書きがありました。

慶長13年(1608)弾誓上人によって開かれた岩屋で、この世の浄土と考えられていた。

岩屋内中央に弾誓上人の石像があり、右側には瑩珠(えいしゃ)院殿(新君と称し、後奈良天皇の孫娘で尾張徳川第三代綱誠夫人)や佐竹、藤堂等と大名の墓石、二世但唱等の墓石が並んでいる。

岩屋前には、四世空誉上人の卵塔をはじめ歴代上人の墓石等がある。

神聖な岩屋内は一般人の立入厳禁の聖域であった。(上記説明書きの一部)

その時はしっかりと読まなかったのですが、墓石ということでした。( ̄ー ̄;
岩屋の中の写真もありますが、掲載を控えたいと思います。
一般の方は近づかないほうがよいのではと思いました。

岩屋でお祈りを少ししましたが、霊気が強いと思いました。神様でも仏でもない陰気な霊気です。まさに墓所の気という感じでした。岩屋の天井からは水はぽたぽたと垂れていました。
お祈りをはじめると、「ブワォーン」「グゴォーン」と突然音がなりだして肝を冷やしました。まさかラップ音?と思いました。私は祈りに加えて真言を繰り出しました。不動明王、三宝荒神、観音さまなどの真言を唱えました。
音は鳴り止みませんので、ほとほどのところで祈りをやめ去ることにしました。音の正体は、かえるの鳴き声だったかもしれません。( ̄ー ̄;3月中旬だったのでかえるが活動していても不思議はありません。

下の写真では、弾誓上人が岩屋で修行をしているさまですが、周囲を物の怪のようなものが取り囲んでおり不気味です。


旧本堂の跡地です。

岩屋の前にあった観音さまらしき像です。

岩屋の辺りの岩彫りの文字です。

五十三段の石段です。

在任が一人一段ずつ作ったという、このお寺では有名な石段のようです。

参道です。

参道横には、頭のない石仏が多数ありました。

入口です。

浄発願寺奥の院から数百m~1kmくらいのところに現在の浄発願寺があります。
浄発願寺は、無常山一之澤院と号し、今を去る四百有余年前に木食遊行の開祖弾誓上人により開かれた天台宗弾誓派総本山です。現在の浄発願寺には行程の関係上、行きませんでした。

浄発願寺奥の院参拝のあと、大山阿夫利神社下社まで立寄り帰宅しました。

参考情報:木食について浄発願寺奥の院のの説明書きでは次の通りでした。
木食行(穀物をさけ、木の実。草の実などを火を通さないで食べる)の戒律を大正初期まで守り続けた。

木食は、木食戒のことで、即身仏になるための修行の一段階でもあったようです。


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