蘇民将来伝説発祥の地 備後国一宮の清らかな素盞雄神社を参拝

12月上旬の先日、櫛名田系の神社に行きましたので、同じく12月上旬に今度は素盞雄系の神社に行ってみました。行ったのは備後国一宮とも言われている福山市の素盞雄神社です。立地は福山市で、山あいの盆地っぽい田舎の空気がある場所にありました。
(備考)備後国一宮は吉備津神社もあります。

神社の敷地はわりかし大きいですが、広いがら~んとした境内にはぽつぽつと建物や木があり、すかすかの空間が多いです。地面は概ね土・砂系です。かわいた地面で土くささはないので過ごしやすいです。

一宮というより大きな敷地の鎮守という感じです。風格がある建造物が多いので昔はにぎやかだったのかもしれません。

とても素朴でシンプルな神社でした。雰囲気はすがすがしさがありよかったです。

素盞雄神社(福山)について

蘇民将来伝説発祥の地
備後風土記に見られる蘇民将来伝説の舞台となる神話に彩られた由緒正しい古社。巨旦将来屋敷跡。
新市町観光協会のサイトより)

天武天皇時代の創建(古墳時代末期)
社伝によれば天武天皇の治世であった7世紀ごろ(679年か)に創建したとされる。後に神仏習合によって仏教系の神である牛頭天王を祭神とするようになる。明治の神仏分離により、祭神は本来の素盞嗚尊に改め、現在の社名に改称。(Wikipedia素盞雄神社(福山市新市町戸手)より。)
吉備真備が立ち寄ったとされる。

本来は疫隈國社、蘇民将来を祀った
元々備後国風土記に名前が出てくる疫隈國社(えのくまのくにつやしろ)であり、蘇民将来伝説の発祥の地、蘇民将来を祀っていたとされる。

祇園祭
例大祭が祇園祭。平安時代中期から祗園祭が始まったといわれている。
ふくやま観光・魅力サイトより)

備後三大祇園社
須佐神社(三次市甲奴町小童)沼名前神社(福山市鞆町)と合わせて備後三大祇園社という。

相方城城門を移築
相方城の城門が2棟移築されている。

 

素盞雄神社参拝

入口

参道

風格がある入口と参道です。

随神門

参道

手水盤

水はきちんと出ていました。

舞殿

拝殿

参拝感覚としては、とても清らかで美しいご祭神のエネルギーで浄化されました。神社らしい神社です。
ぱっと見い、がらーんとした境内でさびしい感じもしますけども、ちょくちょくご参拝の地元の方が来られてましたし、ご祭神はすばらしかったです。
参拝できてよかったです。

木地堂

現在では天満宮ということになっているようですが、天満宮ではないと思います。本尊本地仏として聖観世音菩薩が置かれていたお堂だそうです。

境内風景

この広い境内スペースに、お祭りの日には露店が並ぶのでしょうか?

境内には蘇民将来神社なんかもありました。

相方城城門



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