神社の神と人の関係

神社のご祭神と人の関係について

 

神社の神と人の関係について考えてみました。

神社を参拝する人には願掛けであったりリフレッシュであったり何らかの参拝理由があります。一方、神社にいる神さまにとってはずっと神社にいて人の願い事を聞き、時にはかなえるということにどのような意味があるのでしょうか。人間的な感覚で言えば、休みもなく働きづめで、神社のようにだいたいいつも同じような場所にいるという大変な環境です。神さまやっているというのは神さまにとってはどんな意味があるのでしょうかと不思議に思ってしまいます。その点に関連して考察してみました。

以下は単なる考察になります。物質界の意識の上でこれまで仕入れた知識をもとに組み立てて書いているだけです。言い切った言葉で述べますが語尾に「思います」は省略しています。

神社の神さまとはどんな存在?

地球におられる神は、原初神とか原初神から生まれた創造神といった存在とは別ですが、源は創造神が生み出した存在です。創造神が生み出した神、さらにその神が生み出した神というようにずーっと数え切れないほどの神が生まれてきました。例えを出すと、神話ではイザナギやアマテラス、スサノオなどから様々な神が誕生しています。スサノオが息をふいたら神が生まれたりしています。天使と呼ばれる存在も一部は神です。神は高次元体です。高次元体には神とそれ以外の存在がいます。神のずっと川下の先には人がいます。

物質界は神の創造ではなく、自然に生まれたものです。神々により物質界の形状や性質が整えられたり、運営するための秩序やルールが作られました。それが物質界にとっての天地開闢です。物質界が誕生したのち、物質界に生物が生まれました。神(高次元体)は物質界に生物が生まれるようにセットし、その後自然に生物は生まれるようになっています。そののち、物質界に人の源となる存在が降臨し人が創造されました。肉体ができると魂が連携するようにセットされています。地球にいる人も神(高次元体)の創造で、魂は他の星の経験がある人(魂)と地球で生まれた人(魂)がいます。地球に存在する動物が人に転生することはありますし、動物的な欲望だけで生きてしまうと人から動物に転生し地球に吸収され消えてしまうことがあります。地球ができたのは物質界ができてからだいぶ後の話です。地球にとっての天地開闢は地球ができたときとなるのかもしれません。

神社に神さまがおられる理由

地球にいる神(高次元体)は、人が存在するよりずっと前から存在していました。地球が生まれたときからいる神もいます。これらの神は上に述べたような活動もしますし、地球をお世話する役割をもっていたものです。生物が生まれてからは地球環境の調整や生物のお世話のため神々の体制が強化されその役割として新たな神々が加わっていきます。人のお世話をする神もいます。人がたくさん増え、神の存在を知っている人は神を祀り、のちに神社を建てて参拝するようになりました。今も多くの人が神社を参拝しますが、神の存在を無意識に知っているからです。

神社にいる神さまは人の面倒を見るという役割を付与されている、あるいはそういう役割を選んだということです。神社を訪問する人たちが成長し真理に目覚めていけば、それは神社の神さまにとっても喜ばしいことですし役割を果たしたということになります。

地球にいる神とは?

ここでいう神とは高次元体ですが、具体的に何次元から高次元ということではないです。神の領域を高次元と表現しています。地球にいる神(高次元体)は、最初から神の領域にあった高次元体と成長した高次元体の霊体があります。成長により高次元体になった霊体とは、元は地球や他の星で人として物質界を経験したのち霊体が高次元に発展した高次元体、人霊以外の自然霊(神獣、妖精、幻獣、霊獣、聖獣、精霊とか言われる存在)などから発展した高次元体、あるいはさまざまな想念や観念から生まれた想念体、観念体が発展した高次元体などがあります。

人は様々な経験を経て、成長、発展していく役割、性質をもっています。その先には高次元の存在、神の領域に至ることも想定されています。

人が神になった例として神道の神で言えば天神さんでお馴染みの菅原道真などが有名です。他にも神として神社に祀られている方は多数いますがまだ神の領域に達していない方も多いです。先史時代以前の方は神になっている方が結構います。仏教では空海が仏神として有名です。恐らくチベットなどはたくさんおられるでしょう。キリスト教やイスラム教系では人から天使になったという伝承はあります。天使には神の領域の存在がいます。

神にはいろいろな系統の神がいます。日本であれば大きくは自然崇拝の神、神社の神、お寺など仏教系の神がいます。自然崇拝の神は、多くは地球環境を管理する神です。仏教系の神、仏神とは、仏神界という独自の世界を持ち、仏教的世界観をもとに迷いを持つ人を導いたり神社の神と同じように救い守ったり、輪廻転生を管理したり、悪霊や邪霊、あやかしの管理をするために存在されるとの見当があります。仏神も神の一部ではあります。

神も人もこの世界のプレイヤーです。それぞれに役割があります。神は自らの意思でその役割を果たしておられ、役割を全うする中でさらに大きな存在になっていき、さらに重要な役割を担うことができるようになります。そうして宇宙はさらに発展していきます。

宇宙とは、元々原初神や創造神にとっても、自らが何かかわからないので、宇宙という場を作ってたくさんプレイヤーを作って検証してみるかーということでいろいろ何かやっているということです。人はそのプレイヤーの一員であり同じ立ち位置でもあります。創造神という存在が始めたゲーム世界にいる自立的なゲームプレーヤーが人だとすると理解が早くなります。

ゲームの世界では星が生まれたり爆発したり大地震がおきたり、日常生活においてトラブルもおこりますが、一つのイベントです。ゲーム世界でも難しい局面を何とか乗り越えるところにゲーム性があります。ですのでこの物理世界では大から小まで何らかの問題が起きてくるようにセッティングされています。疫病流行なども神の采配であり、どう対処するかはプレイヤーの意思となります。ゲームと同じでプレイヤーゲームオーバーでも輪廻転生という形で何度も生まれ変わることができます。

原初神や創造神はそのプレイヤーの活動で膨大な体験をしているというわけで、すべてを見守っているのです。

最後にまとめますと、神社にいる神は単に崇拝する対象ではありません。神社の神はナビゲーターであったり、アドバイザーやメンター、セイバー、ガーディアンであったり時には仲間であったりする存在です。

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