久留米神社旅 全国總本宮 水天宮を参拝
久留米まで来る機会ができ、水天宮と筑後国一の宮の髙良大社を参拝してきました。比較的久留米から近く佐賀にある肥前国一宮の與止日女神社(よどひめ)にも行きたい気持ちが強かったのですが、時間的に難しかったので久留米の二社のみになりました。與止日女神社は次の機会に狙いたいと思います。
水天宮は全国総本宮ということだったのはわかっていましたが、その割に知名度は余りないのでやや田舎の素朴なお社だろうという予想をしていました。実際のところそんな感じでした。参拝日は4月の上旬ですが、寒い日でした。底冷えするような気候です。水天宮通りという道路名があったので、門前町があるのかと思いましたが、そういう賑わいはなく静かな通りでした。水天宮通りは筑後川に突き当たるまで続いており、川に面して水天宮が鎮座していました。
早速鳥居をくぐりましたが、川べりのためかものすごく風が強かったです。それも風が冷たい。このため長居はできず、さっと参道を往復したたけの参拝になりました。
風が強いと印象も散漫になってしまいます。穏やかな日だったら川べりの立地も開放感ありよかっただろうと思いました。
特徴
主に、水天宮のWebサイトからの抜書きですが次の通りです。
・全国の水天宮の総本山である。
・主祭神は天御中主神であるが、安徳天皇、高倉平中宮も祀っており、平家方の神社である。
・禁裏御祈祷所(勅願所)に仰せ付けられた名社。
・古来より水の神とされている。
・筑後川流域は戦場になることが多かったため、兵禍を避け幾度も社殿を遷している。
・水天宮御守(いつもじ)という飲むお守りがある。(紙を飲むようです)
・水天宮には、安徳天皇について筑後に生き延びたとの伝承がある。
御祭神の安徳天皇は、壇ノ浦の戦で二位の尼に抱かれて入水され、 御年わずか8歳の生涯をお果てになったと国史には記述されております。
ところが水天宮にはここで崩御なさったのではなく、官女の按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)に守られ、生きて筑後に潜幸遊ばしたという伝承があります。
(水天宮のWebサイトより)
伝承によると、安徳天皇は皇子をもうけられ、27歳で崩ぜられたそうです。
・当初、水天宮は尼御前神社と呼ばれていた。
参道
拝殿、本殿周り
参拝当日、冷たい強風に見舞われ長居できませんでした。軽く手を合わせるのみで参拝を終えました。
水神社の狛犬は、自分の痛いところを撫 でればその痛みがとれるという事で「撫 で狛犬」とも言われ、多くの方々から崇 敬をいただいています。(水天宮 Webサイトより)
筑後川
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