日常雑記 映画「ゲド戦記」を観賞しました

映画鑑賞といっても、時節柄、自宅です。もともと1年以上前に録っていた録画ですが、長らく見る気がおきなくて昨日GWが始まったこともあり見てみようという気になりました。(^∀^;)
新型コロナウイルス感染症騒動の真っ只中の今、このタイミングで観るといろいろと考えさせられるアニメ映画でした。

ジブリ映画のゲド戦記にはたくさんの印象的なセリフがあったので書いてみます。セリフサイトにお世話になりました。(^∀^;)

生命に関連するセリフ
「自分がいつか死ぬことを知ってるということは、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ。」
「死と再生の繰り返しこそが命の根幹なのだぞ!」
「わしらが持っているものは、いずれ失わなければならないものばかりだ。苦しみの種であり、宝物であり、天からの慈悲でもあるわしらの命も。」
「命は自分だけのもの?私は生かされた。だから生きなきゃいけない。生きて、次の誰かに命を引き継ぐんだわ。…そうして、命は続いていくんだよ…。」

世界均衡と人間の役割についてのセリフ
「疫病は世界が均衡をとろうとする一つの運動だ」
「この世界の森羅万象はすべて均衡の上になり立っている。風や海も、大地や光の力も、獣や緑の草木もすべては均衡を崩さぬ範囲で正しく動いている。」
「人間には人間ですら支配する力がある。だからこそ、わしらはどうしたら均衡が保たれるかよく学ばなければならない。」

観賞感想
新型コロナウイルス感染症が大流行した世相と絡めて意味合いを考え、この映画からは、大きく2つの感想を持ちました。2つは関連しあう観点だと思います。

一つめは、”人間は均衡をくずすような強い力をもっているが、人間同士や他の生物、地球の無機物などと均衡を保ち融和するように努力しなければならない。”ということです。侵攻や迫害による他民族支配、帝国主義、行き過ぎた格差社会、社会的欺瞞などは戒められなければいけないと思いました。新型ウイルス感染症の大流行を機に新たな人間社会の意識変化が促されているのかもしれません。

二つめは”人間はいつか肉体の命はなくなる。命をもらうこともなくなることも天からの慈悲なのかもしれない。寿命を行使し命を失うための手段は人間にとって必需品でもあり、その一つの手段としてウイルスも用意されているのかもしれない。”という感想です。
命の寿命は昔と比べて大幅に伸びましたが、寿命が延びた分、それに見合った豊かな精神性につながるような命の生かし方をすべきだと思いました。