神社を参拝する理由、目的とご利益

わたしが神社やお寺参拝をするようになった2012年から8年ちょっとたちました。

参拝する頻度は週2,3回のときもあれば毎日のときもあります。毎日といっても近所の寺社に立ち寄る程度です。少し遠めの社寺に行くのはせいぜい多くて週1くらいです。近めの寺社には週1でルートを作ってたくさんの神仏数をまわっていました。数をカウントしてみたら46神~52神でした。仏像がたくさんあるお寺の各仏像数、祠数や神社の境内社数を含みます。46~52神まわりは大体2~3年はしていたと思います。46神となると結構時間がかかり1~2時間かかります。最近は週1から頻度が落ちて月1くらいです。

以下はわたし自身がなぜ、神社を参拝するかや、わたしのご利益や目的について述べたものです。

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神社を参拝する理由

社寺めぐりを始めた最初の頃はなぜ社寺めぐりをするのか余りわかっていなかったのですけども、なぜ神社(やお寺)に行くのかについては、好きだからとか、行ってみたいという気持ちが湧くからというのが土台にありました。参拝を続けるうちに、神社参拝で期待できる点(ご利益)についてだんだんとわかってきました。そしてそれらの中から、わたしが神社を参拝する目的も整理できてきましたので書いてみたいと思います。

神社参拝のご利益と神社を参拝する目的

一般的に神社を参拝する理由、目的、動機としては願い事に対するご利益を得るためと言うこと多いと思います。わたしが特にご利益があったと思う事柄について主なものを次にまとめてみました。願い事をしてもしなくても得られるご利益も含んでいます。よい感触の神社にお詣りしたときのご利益という意味で書いております。全ての神社でよい影響のご利益があるわけではありません。

精神的なよい影響


Gerd AltmannによるPixabayからの画像

  • 一つ目は精神的なよい影響を受けることです。神前に立ち理屈ではなくとても暖かい気持ちになったり、精神的な落ち込みが軽減したり、とても清らかなあるいは爽やかな気持ちになったり、ストレス解消やリラックスになったりします。これらは非常に重要な要素だと思います。簡単にいうと癒しや浄化ということだと思います。わたしの過去の経験でも精神的にとても苦しい時期に助けられたことがあります。
  • 神社参拝を続けると清らかで暖かい気持ちになるので、悪い道に陥りにくくなります。人の社会生活でも周りに高潔な人がいると引っ張られてよい影響を受けたり、逆の場合は悪に染まっていったりします。日常の神社参拝でも同じです。神仏という高次元のエネルギーを日々体験することで「朱に交われば赤くなる」的な「高次元に交われば近くなる」作戦です。神仏参拝は「神仏行」ともいえると思います。高次元の神さまの影響を受けられるというのはとてつもないメリットになります。
危機回避、解決
  • 二つ目は、リアルで起こる(起きている)よくないこと、危機、危険などの回避や解決です。現世ご利益の主体になる部分です。危機・危険回避の面でわたしの体験では、具体的に願掛けしたのではないのに「あっ、これは助けられたな。危なかった。」と実感するできごとは多数ありました。気づいていないことも多数あると思います。ある意味厄祓いの一種でもあります。またご祭神との関係が深まると、本当に危険なときには思念で呼びかけることで瞬時に来ていただけるかもしれません。わたしも来ていただいたことがあります。かかりつけのドクターならぬ、かかりつけの神さまがいると心強いです
  • 危機回避や問題解決については、自分や家族のための祈願だけでなく困っている人のために祈ることもあります。神さま側から能動的に動いて世間の人助けしたりすることは余りなくてお詣りや祈願をして初めて動けるようになるのではと思います。
お祓い、お清め

  • 三つ目は、霊的なつきものや悪想念、呪いなどを落としてもらったり、防いでもらうことです。いわゆる祓いや浄化などです。わたしも経験がありますが、よくない念を飛ばされたりすると体調に影響する場合があります。「いま念が飛んできたな」と感じたり(念や呪いが到着するのはリアルタイムとは限りません。)、「これは念の攻撃を受けているな」と感じたりすることがあると思います。
    また精神的なストレスを抱えている人が近くに寄るだけで「うわぁ~気持ちわるぅ」って感じるものだと思います。他に例えをいうなら、やや邪な人が街や電車で近くにいるだけで気持ち悪くなることもあると思います。念は重いものから軽いものまであり、軽いものだと知らないうちに貼り付いていることもあります。神社参拝ではそういう念が取れることも期待できます。
  • 厄除けなどもお清め、お祓いにあたるかもしれません。厄年の厄とは、人々の想念がもたらす社会全体にかかる呪いの一種ともいえます。社会想念から来る作用というのもあるのです。
気づき

  • 四つ目は、気づきを得られることです。何かを知りたいと思ったとき、こういうことを知りたいですとお願いしておくと、その時は教えてもらえなかったとしても、後日、あるいはだいぶ後になって気づきを得ることがあります。天啓めいた気づきのときもあります。
  • 気づきを得た場合は、念のためその場でどなたかへの感謝をしておくとよいと思います。
精神面や霊的な成長
  • 五つ目は、精神面や霊的な成長です。一つ目とも関連しますが、自分の感情、思考や行動を自己点検したりして清らかにし成長するための場として神社を活用したり、あるいは感覚を磨いたり霊的なエネルギーを強めたりすることで宇宙の真理などに近づいていき発展につながると考えています。
  • 人間は霊的に成長してくるとチャクラの活動を知覚するようになってくるものと思います。わたしも神社参拝を始め1~2年でチャクラを意識するようになりました。チャクラの活動を活性化することで人の成長になるようです。なぜそう思うかというと、神社参拝をするとご祭神は光のエネルギーを出されていることが多いことがわかります。光のエネルギーは分析するとまるで虹みたいです。チャクラのエネルギーも同様です。虹のスペクトルは赤、オレンジ、黄、緑、青、藍、紫の7色ですがチャクラカラーと似ています。つまりバランスよくチャクラを発達させると神のエネルギーに近づきます。

これらのうち、わたしが神社を参拝する大きな目的は後付け的には五つ目になります。時には他の目的のこともありますし、五つ目の目的で参拝しても、結果として一つ目~四つ目の恩恵を受けたということもあります。

その他のご利益

世の中一般的にはその他、家内安全、無病息災、安産、子授け、病気平癒、商売繁盛、事業発展、五穀豊穣、大漁満足、芸道上達、武芸上達、学業成就、合格、交通安全、航海安全、海上安全、旅行安全、縁結び、結婚、合戦勝利、就活、当選、昇格、長寿、開運招福、福運、勝運、収入アップ、国家鎮護、玉体安穏、雨乞い、平和、疫病退散などあります。

願いがかなうかなわないは、宇宙の法則や決め事に則っているか、願いをかなえることの行く末的な判断、ご祭神の役割、裁量、能力、方針、あるいは頼み方や気に入られ方、本人の努力、本人の魂の意向などの要素があると思います。願いがかなわないからといって、この神さまはだめとか思うのはまったく的外れであり、そのような思いを持つと次に助けていただけなくなるかもしれません。

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