神社やお寺の参拝感触

霊的な感度を上げる

 

別のページで神社参拝のご利益と神社を参拝する目的の一つとして、精神的なよい影響を受けることについて書きました。

神社を参拝すると、神さまが発するご神気により気持ちよく感じたり、いやされたりストレスが消えたり、エネルギーが体に入ってきて体が軽くなったり暖かくなったり、清められたと感じたりすることがあると思います。
一方、人によっては神社を参拝しても余り感じないとか、よくわからないという場合もあるかもしれません。一応そういった参拝感触の感度を上げる方法について考えてみたいと思います。

神社、仏閣での参拝感触という霊的な感度を上げていくことになりますが、そのことは自身の成長のために重要な要素だと思います。霊的な感度を上げていくと気づきを得やすくなったり、天啓をえやすくなったりするのでより成長につながるものと思います。

以下にいくつか感度UPの方法をあげていきます。

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経験を積む

一つ目は、参拝の経験を積むことです。参拝する数をこなせばだんだんと感度はあがっていきます。何事も反復経験により感覚や能力が向上していくものと思います。ある日ぱっと気づくパターンもあると思います。

参拝の前提となる意識の持ち方は漫然と参拝するのでなく感じることに意識を向けての参拝です。神などいるわけないとか、神がいるとしてもわかるわけない等の意識障壁や思い込みを自ら展開している方は感じとりにくいでしょう。もう一つの前提としては一人で行動することです。これは山の神さまに参拝する場合の登拝(登山)でも同じことがいえます。他の人がいると感覚を研ぐことができなくなるからです。

余談になりますが、類似の話として登山の場合でも、パーティーの人数が少なくなるほど感動が大きくなるという法則があります。ソロ登山は感動がマックスになります。ソロ登山より仲間とわいわいするほうが感動を共有できてよいのではないかと考える人がいるかもしれません。そういう面がないわけではないですけども、大人数<少人数<ソロの順で、特に精神面の経験分量、真剣に山に向き合っている度合いとそのリターンともいえる感動の中身が全く違ってくるのです。その分ソロはリスクも高くなり、何でも自分で考え判断し責任も成果も自分のみにかかってきます。

しかし神仏を意識せず生きるというのも当然あります。自らの意識だけで自らを高次元に高められたらそれはすごいことですけど、そういう場合でも結局何かに感謝しながら生きている場合が多いですから、高次元の存在とはかかわりができてくるものです。

日常生活での成長意欲

二つ目は、日常生活での精神面での成長が重要だと思います。精神面で成長し、精神活動のバランスが取れてくることによりだんだんとチャクラの活動が活性化してくるので、感覚もよく働くようになってきます。

精神面の成長の方策として以下のような考え方があると思います。

  • ネガティブ系の感情は長続きさせないようにできるだけ切り替えて手放し慢性化させないこと、よい感情や心指し(志)を多くしていくことです。下記に感情例を整理しました。なかなか簡単にはいかないと思いますが、心の志向性を持つことが重要です。人は自分が望む方向に進んでいくものといわれております。

    よい感情:
    慈しみ、慈愛、愛情、友愛、幸せ、喜び、感動、感謝、祝福、嬉しい、楽しい、寛容、楽観、情熱、やる気、希望、肯定、受容、安心、親和、向上心、自己尊重、他者尊重、親切、労わり、知的好奇心など

    手放したい感情:
    蔑み、見下し、嘲り、恐怖、悲しみ、不安、恨み、悲観、嫉妬、憎悪、嫌悪、猜疑、執着、不満、不寛容、罪悪感、自己否定感、他社否定感、無気力感、支配、屈従、優越感、劣等感、後悔、空虚、苦悩、攻撃心、根強い怒り、抑圧感、差別心など

  • 日々の生活で自分の感情、言動などを良心に照らし合わせて常に点検し、改善する意思を持って行動する。自分に誇れるか、自分の尊敬する人、自分の大切な人たちに見られても恥ずかしくない感情や行動かという視点。他人視点以外に集団や社会視点、生物視点、万物視点・地球視点、宇宙視点などもある。
  • 陰徳を積むこと。陰徳とは陰ながらだれかの幸せや社会の発展を願う行いや感情、想念のことです。
  • 仏教でいわれていることで、業の考え方、つまり起きるできごとは全てよいとか悪いとかの性質はもっていないことや、業(カルマ)の法則として善因善果、悪因悪果を理解する。その上で、自分なりになぜそのできごとが起こったかの考察や意味づけをする。

この記事を書くにあたりネット検索をかけ仏教の考え方も参考にしました。
精神面の成長に関し仏教においては四無量心という考え方がありますので、参考として書いておこうと思います。

四無量心

Wikipedia四無量心によれば四無量心とは”他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つことをいう。”ということです。怨親とは敵味方という意味です。

四無量心には慈・悲・喜・捨の四つの要素がありネット情報を参考に次のとおり解釈してみました。仏教家の間でもいろいろな言葉での解釈があるようです。

慈無量心 ほかの存在に慈しみを向ける量り知れないほど大きなこころ
悲無量心 ほかの存在の悲しみをなくそうとする量り知れないほど大きなこころ
喜無量心 ほかの存在の幸せを喜ぶ量り知れないほど大きなこころ
捨無量心 平穏な気持ちで過ごせる量り知れないほど大きなこころ

これらに自分向けの解釈として、知無量心というのを付け加えます。
知無量心 真理を知りたいと思い探求する量り知れないほど大きなこころ

は上の4つの無量心とも深く関係します。知がないと4つの無量心を生かせませんし、もともと知がないと4つの無量心にも至らないと思うからです。

霊的修行の手法を用いる


Gerd AltmannによるPixabayからの画像

三つ目は、霊的な能力を磨いたり霊的なエネルギー量を増やしていくための霊的修行の手法を用いるものです。

どこで仕入れた情報なのか覚えてないのですが、また、はっきりとその文言も覚えてないのですが、空海が言ったとされる霊的な力を伸ばす重要な手法は「瞑想行」「山行」「水行」「菜食行」の4つです。

「山行」「水行」は神有の場所で行なう場合「神仏行」の要素もあり、「神仏行」「山行」「水行」は「瞑想行」の要素もあります。「菜食行」は癒しのエネルギーの蓄積につながります。自身の波動をやわらかく精妙にしていく行といえましょう。

この4つが効果的であるのは間違いないと思います。修験道者が山に入ったり滝行をするのは相応の理由があるということです。霊的な力を伸ばすだけでなく、霊的なレベルを上げること(=人としての成長)にも貢献してくれると思います。一方霊的な力を悪用すると宇宙の法則に基づき報いを受けてしまうようですので注意です。人を脅してお金を巻き上げたり、悪念を飛ばして人を呪ってみたりすることです。

天体観察をする

夜空の星を見ているとロマンチックな心境になります。わたしは子どものころよく夜空を見上げてとても切ない気持ちになりながら思索をめぐらしていました。人間とは何か、自分は何ものか、何のために存在するのか、宇宙とは何か、どうやっててきたのか、何のために存在するのか、他の星には何があるのか、人はいるのか、宇宙の果てには何があるのか・・・いつかそういうこと解き明かしたいというような思索です。

今もちょくちょく夜空を見上げることがあります。夜空を見上げていて気づいたのは、星にもエネルギーがあるということです。地球にもエネルギーがあるのですから当然のことですが。(^∀^;)
比較的最近、この星すごいと思ったのは、火星です。オレンジ色っぽい火星をながめていて、ふと意識の焦点を合わせてみると、体がふるえるほどの強いエネルギーを感じ、思わず祈っていました。(^∀^;) 火星の神は、マーズ、マールスなどと呼ばれ、勇敢、武勇や男性神の象徴だそうです。道理で強力なエネルギーが出ていると思いました。男・雄の記号は本来はマーズを表す記号だそうです。
今度は慈愛やいやしのエネルギーの星も見つけてみたいと思います。

こういった天体観測、星の観測も感覚を磨くのに通じると思います。

祝詞や護摩をきいたり唱える

力のある方の祝詞や護摩を体験するのは、チャクラの活性化などにより霊的な目覚めにつながる場合があります。実際に社寺の神仏前に足を運ばなくてもYouTube等の動画の中には力のあるものがありました。

~気がついたときに更新~

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