妙見信仰とは 能勢妙見東京別院参拝 東京の妙見さん

1月の下旬頃に能勢妙見東京別院に行ってみました。能勢妙見さん(能勢妙見山、能勢妙見宮)は大阪北部の有名な妙見さんで、その東京別院があると知り参拝することにしました。関東では能勢妙見さんはそれほど知名度がないのかもしれません。

今まで妙見さんといえば、日蓮宗などのお寺の境内にある妙見堂中心の参拝だったのですけども、今回妙見神さん中心のお寺という意味で初めての経験となりました。

参拝記を書く前に、妙見神さんについて調べたり、考察したりしたことも書いてみたいと思います。

 

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妙見(妙見神)について

妙見(妙見神)

妙見神さんは妙見信仰の神。妙見菩薩。

Wikipedia妙見菩薩より
「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者。

妙覚寺 北辰妙見信仰のページより
日蓮宗の守護神信仰に見られる妙見信仰は、北斗七星を神格化したものです。国土をまもり災いを消し怨敵を退け、人の寿命を増す菩薩として親しまれています。

神魔精妖名辞典 妙見菩薩より
一切の善悪を記録する仏尊であり、国土を擁護し災禍を消し敵を退けるという。
護国、除災を祈る尊星王法の主尊とされる。

妙見神さんは、国家守護から、災いなどにも対抗する力が強い神とされているようで、頼りになりそうです。わたしがお参りした感触からも強いお力の神だと思いました。(妙見神といわれている神さまならどこの神さまでもという意味ではないです。)

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道教、陰陽道、仏教の神

妙見神は道教の北極星・北斗七星信仰の神であり、陰陽道にも取り込まれた道教系の鎮宅霊符神でもあります。中国で仏教の菩薩信仰と習合して妙見菩薩にもなっております。

日本でも仏教、陰陽道の神であり、神道にも取り込まれています。中世以降弓矢の神、武神にもなりました。地域によっては星神、水神、鉱物神・馬の神としても信仰されたとのことです。

元は中近東や大陸の遊牧民が方角を定めるのに、星を信仰した星神(星宿信仰)ともいわれます。それが中国に伝わり、神仙思想、道教に取り込まれ呪術的に発展したものが妙見信仰のベースのようです。道教や陰陽道では天文や方角を重視していましたから、北極星や北斗七星信仰を使い術を強化していったのでしょう。

発展の理由
神仙道、道教、星神、仏教、陰陽道、神道とさまざまな国や地域での信仰や儀礼などが結びつく中で、多くの人々の信仰や想念の影響を受け、強力な神となっていったと思われます。大元はアッシリアとかバビロニアの方だということなので地域性も広いです。

妙見神さんの発展経緯は、牛頭天王さんが五道大神、五頭天王、武塔神(武塔天神)、薬師如来の垂迹、祇園神、陰陽道の天道神、道教的色彩の強い神の天刑星神の転生、インドの王舎城の大王(商貴帝)といわれ、多くの国や地域の信仰や宗教との関連を持ち、強力な神となっているのとよく似ています。

神道では、妙見神を天御中主神に置き換えているが、これは牛頭天王を素盞雄神と置き換えているのと同じで名前だけのようです。

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星神伝説

星神という概念に関連して、日本でも主要な妙見神さんの社寺において天上からの降臨の言い伝えがあります。妙見神さんは、星神という性質があるため、降りてきたとか、落ちたとかいう表現なのかもしれません。隕石があったとも考えられます。宇宙神霊信仰です。日蓮宗のお寺では妙見さんを祭ることから、日蓮さんゆかりの神霊であることがうかがえます。

能勢妙見山
星の王様がこの山に降りてきたという言い伝えがあります。(能勢妙見山のWebサイトより)

星田妙見宮
平安時代、弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の洞窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、それらの星が3ヶ所に分かれて地上に落ちたと伝わります。この時よりここに大師自ら[三光清岩正身の妙見]と称してお祀りされました。(星田妙見宮のWebサイトより)

星田妙見宮については、弘法大師(空海)などの手により勧請されたとも考えられます。

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妙見神の社寺

妙見神さんはお寺と神社でまつられています。元は同じですが、明治の神仏分離時にお寺になったか、神社になったかの違いです。
仏教系は能勢妙見山(能勢妙見宮)や日蓮宗のお寺などに多いです。密教系にもあるようです。
神道系は、星田妙見宮(小松神社)が有名です。星田妙見宮の霊符は非常に強力だとされています。(太上神仙鎮宅七十二霊符という霊符など。)関東では千葉神社が有名です。星田妙見宮も千葉神社も昔はお寺であったそうです。
他には奈良に鎮宅霊符神社という陰陽道の神社があり、住所が奈良市陰陽町だそうです。昔、陰陽師たちの住居場所であり、陰陽師の祭壇となっていた神社だそうです。

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妙見信仰の本願

本願についいて、星田妙見宮では全ての調和とされています。

星田妙見宮(小松神社)のWebサイトより

全ての営みが、宇宙では連結し結ばれており、全ての調和こそが、妙見信仰の本願であります。

私たちの社会は一時として静止することなく、時とともに流れています。この世は不均衡のほうが多いともいえます。その時々の不均衡を調和にもっていくことこそが、私たちの本来の役割であります。均衡、不均衡の絶え間ない動きの中でこそ、本来の実相真理が見えてきます。この実相真理としての調和の揺ぎ無い肯定が、私たちのこの世に利益(りやく)をもたらします。我だけの利益は、必ず不均衡の要因を生みだします。妙見信仰は現世利益の信仰と申されますが、利他の中に、現世での均衡の連鎖によってもたらせられるものが現世利益であります。相共に生きる共生の中に、妙見様の加護があります。

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妙見神と神道神の関係

妙見神さんは元は大陸の星空信仰の神、北極星の北向きの神であるので、太陽神である天照大神はじめ日中の神である神道の神とは対極的です。道教や陰陽道、仏教においては国を護るような呪法に通じる性質がありますが、また一方で真理を求めるような求道的な要素もありそうな神さまです。奉じる側の気持ち次第ではないでしょうか。

妙見神と神道神をキーワードで大まかに分けて言うなら、

妙見神は、方角的には北で星の信仰なので夜
神道神は、日中の太陽がある朝昼

という分け方をしてみました。といっても妙見さんには夜参拝しようという意味ではありません。(^∀^;) 自宅などから北向きに北極星を奉じて国家鎮護などを祈るのなら夜になると思います。

Wikipediaに下記の記載があります。

Wikipedia群行より

群行当月の9月いっぱいは斎月と称して左右京、五畿内と近江・伊勢両国において北辰に灯明を捧げる北辰祭や葬儀を禁じるなど、朝野を挙げて厳重な斎戒が課された。

(補足)
群行とは、斎王が伊勢の斎宮に向かう行事のことをいう。

北辰祭が何か斎王の神事に干渉する要素があったのかもしれません。

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能勢妙見東京別院とは

能勢妙見東京別院とは名前の通り、能勢妙見山の東京別院です。能勢妙見山は、能勢妙見宮とも言い、正式には無漏山眞如寺 境外仏堂 能勢妙見山と言います。大阪の能勢郡にある妙見山山頂付近にある、妙見信仰の山寺で、日本三大妙見の一つです。日本三大妙見は、能勢妙見山の能勢妙見堂(大阪府能勢町)、相馬中村神社(福島県相馬市)、八代神社(熊本県八代市)となっております。他に千葉神社(千葉市)、星田妙見宮こと小松神社(大阪府交野市)も大きいようです。

能勢妙見山の東京別院は正式名称を「妙見山別院」というそうです。

歴史・縁起
江戸の安永3(1774)年に能勢氏の屋敷内に堂宇建立。
明治初年に上地となったが、明治7年に現在の地に寺を建立。妙見尊像は、戦厄をまぬがれたとのことです。

ロケーション・アクセス
東京の墨田区本所の立地。
都営地下鉄本所吾妻橋駅下車、徒歩10分、JR総武本線錦糸町駅下車、徒歩10分。
小さなお寺であり、駐車場はなさそう。

能勢妙見山について

能勢妙見東京別院の本体の能勢妙見山の始まりについての伝承です。

その昔、妙見山がまだ為楽山と呼ばれていた頃、星の王様がこの山に降りてきたという言い伝えがあります。時は天平勝宝年中(750年頃)村人達は行基菩薩に請い、その山頂に北辰星をお祀りしたのが当地の北極星信仰の始まりと伝えられます。
能勢妙見山のWebサイトより)

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能勢妙見東京別院参拝

能勢妙見東京別院さんは、住宅街の中にあるお寺です。堂守りの方のお住まいも敷地内にあるようです。入口の門は大きくはないですが風格があり、一歩境内に入ると正面にはそれなりの規模の本堂があり、それ以外に小さなお堂が2つありました。

敷地はこじんまりしていて、ひっそりと佇む風のお寺でした。しかし、こちらの妙見神さんの存在感は大きいです。境内社的なお堂の神さまも強力でした。

静かな境内ですけども、時々参拝者が来られるので、地元の崇敬者が多い印象を受けました。または知る人ぞ知るというところでしょう。

授与所はあいておらず、お守り品など授与品は本堂の中に置いてあって、お寺の方を呼ぶシステムになっていました。

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入口の門

水神明王と手水舎方面

門をくぐってすぐ、右手には水神明王と手水舎がありました。

本堂方面

正面は本堂です。

鷗稲荷(かもめ稲荷)

入って左手には鷗稲荷(かもめ稲荷)と慰霊碑などがありました。
慰霊碑では災害でなくなった人などの成仏や冥福を祈りました。(慰霊碑は写真なし)

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本堂参拝

妙見さん本堂の中は中々広くて奥のほうの高い段に厨子なのか垂れ幕がかかっていて、仏像(があるのかないのかはわかりませんが、恐らくあるのだと思います)は見えませんでした。

参拝すると、数秒後に妙見神さんが出てこられました。わたしは神さまのエネルギーを意識の内などで感じているだけのことが多いです。大変濃く強いエネルギーのご祭神であり、のめり込んで参拝すると人によっては頭がくらっとするかもしれません。星神たる神秘的な祈りができました。

東京別院の妙見さんは静かで、いろいろな人が入れ替わり立ち代り気軽にお参りするような感じではないです。近所の崇敬者のほか、どうしても何か困ったとか、参拝してみてこの神さまを真剣に奉じたいからとか、参拝動機がある人が参拝を続けるのだと思います。そしてもし何か頼ったとしたら、きちんとお礼のお参りをするなど礼をつくさないといけないと思います。どこの社寺でも同じですが。

本堂

参拝を終えた本堂の写真です。心なしか霊気でけぶるような感じに思います。後方にXANAXのビルでした。

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鷗稲荷大善神(かもめ稲荷)

本堂の次に稲荷神さんを参拝しました。


上の写真は参拝前、下の写真は参拝後です。
下の方が霊気が本格的に多いような気がします。

さまざまな色に変化するエネルギーをまとう、非常にかっこよい稲荷神さんです。強い力の稲荷神さんでした。胸や腰のあたりが熱くなりました。

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水神明王

稲荷神さんの次に水神さんをお参りしました。

お堂の形が何となく陰陽道っぽい?道教っぽい?

水神明王さんも力が強いです。胸が熱くなりました。
最後にもう一度本堂の神さまに参拝終了の挨拶をしてから帰りました。これで、能勢妙見東京別院の参拝はお終いです。

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ノボリ

東京別院さんの問題点(問題点というほどのものでもないかもですが)は、下の写真ののぼりです。設置の接合がよくないのか、ときどき風で動くたびにぎぃーぎぃーと音を立てていました。(^∀^;)

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