東京の有名神社 佃煮発祥の地 佃島の住吉神社参拝
東京中央区の住吉神社にいっていました。今回初めて参拝しました。長らくその存在は知っていたのですが足が向きませんでした。というのも規模が小さくてやや廃れた神社だったらどうしようかと思ったからです。参拝当日になって行ってみたい気持ちが出たので、今が参拝の好機だと思いダメ元で出かけてみました。
実際に参拝してみるとすばらしい神社だったので大変よかったです。規模は小さい神社ですが神社の周囲も含めて雰囲気がよいですし、神社の活性も強かったです。授与所も常駐されていましたし(参拝は土日)、参拝者も余りと切れず来られました。地元の方だけでなく観光で来られる方が多い感じがしました。
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住吉神社が鎮座する佃島とは
佃島は寄洲を島にしたもの
住吉神社は中央区の佃島という島にあります。佃島は江戸時代の初めのころに隅田川河口の寄洲(干潮時に陸地となる中州)をもとに埋立られできた島だそうです。
佃島の隣はIHIで有名な石川島でした。
徳川を救った漁業者が移住
佃島に最初に住んだのは摂津国の佃村から呼び寄せられた漁業者さんたちのようです。
呼んだのは徳川家で漁業権と佃島を与えられたそうです。
佃村の猟師と徳川家の関係ですが、本能寺の変の直後、徳川家康が命からがら堺から三河に戻る際、佃村の漁民が家康たちを船で渡して助けたそうです。
当時の佃島の絵画がWikipedia佃島にありましたのでリンクします。葛飾北斎の富嶽三十六景である武陽(ぶよう)佃嶌とのことです。手前が石川島、奥の小さい方が佃島です。
リンク先:佃島(及び石川島)
佃煮発祥の地
「住吉神社の祭礼では雑魚を煮詰めたものを供えていた(醬油煮説と塩煮説がある)。このことから、住吉神社に雑魚を煮詰めたものを「佃煮」として供えたことに由来するという説(Wikipedia佃煮より)」があります。
住吉神社の起源
摂津国佃の漁夫が江戸に移住した際、佃の住吉の社(現 田蓑神社)の分神霊を奉載し、鐵砲洲向かいの干潟を築島(佃島)し、住吉神社を祭祀しました。正保3年(1646)のことだそうです。
江戸時代は佃島において、海上安全、渡航安全の守護神、漁業の神として信仰を集めましたが、現在では周辺の埋め立てが進み現在では、佃島、月島(石川島含む)、勝どき、豊海、晴海と広大な氏子地域の鎮守社になっております。佃島も明治から戦前の時代の工業の島を経て現在では商業や住宅、倉庫などの島となっております。
主祭神(住吉三神)
底筒之男命(そこつつのおのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
表筒之男命(うわつつのおのみこと)
相殿神
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
東照御親命(あずまてるみおやのみこと)
佃の住吉神社を参拝
神社の地図
住吉神社の参道
最初の鳥居
水路に近い位置に鳥居がありました。西の水路沿いです。この鳥居に近いあたりにはもう神社の気が来ておりました。眷属さんでも出ておられたのかもしれません。
住宅街の参道
住宅街ではありますが、境内の参道のように神社の気が来ており、気持ちよい道です。
住吉神社の拝殿
雰囲気と浄化のエネルギー
こちらは威厳がある拝殿です。今日では広大な氏子領域の神となっているだけあって力も強いご祭神だという感じです。祈りの場としてもとてもよいところですが、次から次へと参拝される方が来られるので余りゆっくりとお詣りはできませんでした。ゆっくりしたい場合は平日の朝の参拝等がよいのかもしれません。
住吉神社の参拝感想ですが、境内や参道にはご祭神の気が通っており、神社らしい神社でした。また体を元気つけられるような独特の気の活性がありました。拝殿でお詣りしている際のイメージですが、きれいな水がわき、そこから光の帯様のエネルギーもたくさん湧き出し、海中を浄化のエネルギーが走っているイメージでした。この神社での祈りは東京湾の浄化につながるのではないでしょうか。清らかで豊かな海をイメージしながら参拝するのがよいと思います。
体の活性化について
境内に入ってから拝殿に向けて歩いたときや拝殿で参拝したとき、眉間がとても気持ちよく活性化しました。ご祭神の氣により眉間が刺激を受けさらに脳の奥の活性化につながりました(誰もがこの神社でそのような反応が生じるという意味ではなくわたしの体験です)。眉間(のチャクラ)とその奥については直観力、洞察力、五感以外の感覚、霊的な力などに関連する場所といわれております。感覚の力などが上昇することは人間の成長につながる気づきなどになります。また眉間以外も含め様々なチャクラの開放は人間が目指す姿です。必ずしも神社に行くからチャクラが活性化したり、開くといういことではないですが助けになる場合はあると思います。普段の生活での心がけ、自分の感情や言動の自己点検と内省、改善活動が重要であり前提です。
拝殿の向きについて
拝殿は皇居(江戸城)の方を向いております。江戸城なのか皇居なのかを護る役割も意図されたのでしょう。赤坂日枝神社や神田神社は皇居の正面の端の方に向いております。恐らく住吉神社も同じところを向いていて、三方から(探せばもっとあるかもですが)力を集め結界を結ぶ役割があるのかもしれません。
水盤
こちらの手水盤はとてもよい感じに歴史を経たものでした。
住吉神社周辺
佃煮屋 天安
住吉神社の門前周辺には4軒ほどの佃煮屋がありました。そのうち、代表格として天安をご紹介します。このあたりは佃煮のよいにおいが漂っていました。わたしも佃煮を買って帰りました。種類については10~20種類くらいとたくさんあり、珍しいところでうなぎがありました。次回訪れた際はうなぎを買ってみたいと思います。店によって多少の佃煮の種類の違いがありました。
釣人が多い佃小橋
このあたりでは釣りをしている人がたくさんおられました。江戸の風物詩、ハゼ釣りでしょうか。昔はハゼの佃煮なんかもあったのでしょうか。余り食べたくはないですが・・・。(^∀^;)
何のために釣りをされているのでしょうか?まさか食べるため?
上の写真あたりでは干潟っぽくなっていて、そのためハゼの釣り場になっているのでしょう。のどかな風景でした。
住吉小橋と住吉水門、佃公園
上の写真は佃小橋とは逆方向で住吉神社の近くの住吉小橋です。
以上で住吉神社(佃)の参拝は終わりです。
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